黄金期と衰退 ダルハウゼンかご職人博物館③ ― 2025年ドイツ出張記 Part 6

前回に続き、まだダルハウゼンのかご職人博物館にいる市川伴武です。
だんだんと生産量が多くなってきたかごをどのように販売していたんだろうというのも、
私たちかごを販売するお店としては気になるところです。

こちらは、1900年の写真で、犬が引く荷車にたっぷりのかごが積まれ、行商に出ていた様子がわかります。 
この頃は、作られた本人が自ら行商をしている可能性もあると思いました。 
30年後の1930年の写真になると、かごだけではなく、家具である椅子が積まれていたり、犬から馬になっていたり、馬車も大きくなっています。 
こちらは同様に1930年の写真で、これは2頭の馬が引く馬車だそうです。より積載量が大きいタイプになっています。さらに寝台付きということで、移動しながら、この馬車で寝泊まりもしながら、各地へ販売しにいけたことが想像できます。今の時代の私たちからすると、本当にうらやましい景色です! 
これは、1936年アーロルゼン市場という場所で、販売をするかご商人の様子です。写真を見る限り、多様な種類のかごがありますので、おそらくこの時代においては、「作る人」と「売る人」の分業化が明確になっています。 
こちらは1950年の写真で、ここでは馬車ではなく、トラックが登場しています。そして、いかに荷台に効率よくたくさん詰めるかが考えられているような作りになっています。
販路は、陸路のみならず、材料の採取場所でもあったヴェーザー川を利用し、船で北へ運び、
当時の大きな貿易港都市であるブレーメンへもたくさん出荷されていました。
ブレーメンのその北に位置する北海を通じて、アメリカへ向かう重要な港でもあり、
ダルハウゼンのかごはそこから海外アメリカへ輸出されていきます。
アメリカへ輸出ができたのは、人口増加によって、先にアメリカへ移住していた同郷の仲間や家族たちが受け取り、
アメリカでかごを販売できたことが大きな理由です。
この輸出が、ダルハウゼンの「かご一大産業化」への大きな後押しになりました。

また、やなぎのかご作りと並行して、東南アジアからのラタン輸入によって、さらに、ラタンをつかった家具の生産量が増えていきます。 
熱を加えて曲げるなどの加工が必要な家具のための、特殊なバーナーのようなものの道具も。 
こちらもやなぎのかごと同様にダルハウゼンのかご作りでは主力商品になっていきます。 
子ども用のイス。 
あらゆるかたちの家具、特にイスが多くつくられていたようです。 
比較的、水に強いラタンは船のデッキでつかわれるイスとしても。 
こちらはラタンを加工するための工具と、右はサンプルです。皮は縁巻きなどにつかい、芯は骨組みにつかい、太さや部位を変えて、さまざまな材料がラタンからも作られていて、最盛期には、ラタンの材料製造を専門とする工場もあったそうです。 
ご覧のように、太い材と巻き材などをうまく組み合わせて、ひとつのイスが作られています。 
細かく編まれた背の高い戸棚や、 
ボトルバスケットのようなものまで、多様な細工がありました。
こうして、最盛期を迎えたダルハウゼンは、流通の要となる問屋が活躍します。
家内制工業から問屋制家内工業へは1800年代前半には、移行していたようですが、
1840年代以降は、輸出が拡大しているため、大きな注文に対応するため、問屋が多くの職人をかかえる形が定着しました。
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“ひとつのテーブル”特集展
ドイツで出会った、ヨーロッパのかごたち
2026年
2月19日(木)・20日(金)・21日(土)・22日(日)・23日(月祝)
26日(木)・27日(金)・28日(土)
3月5日(木)・6日(金)・7日(土)
Open | 11:00ー16:00
実店舗 | 東京・南千住 「市川籠店」
