かご作りが最も盛んだったころ ダルハウゼン博物館(3) ― ドイツ出張記 6

こんにちは。前回につづき、
まだダルハウゼンかご職人博物館にいるイチカワ トモタケです。

18世紀頃(1700年代)からはじまったかご作り。
だんだんと生産量が増えてきたかごは、どのように販売されていたのか
ということも、かごを販売するお店としては気になるところです。

今回は、かごの流通や販路に焦点をあてて、
ダルハウゼンの歴史を見ていきたいと思います。

こうした陸路による販路の拡大とともに、水運もまた発展していきました。
ダルハウゼンちかくを流れるヴェーザー川を北へ下ると、やがて大きな貿易港都市ブレーメンへと至ります。
その水路を通じても、数多くのかごが出荷されていました。

貿易港のブレーメンを流れるヴェーザー川は、そのまま北海へと流れ出ます。
ブレーメンに運ばれたダルハウゼン製のかごは、さらにそこから海を渡り、アメリカへと輸出されていました。

1800年代、人口の増加にともないアメリカへ移住した同郷の仲間や家族たちが
現地で受け取り、販売の役割を担ったことが、その背景にあります。

この海外輸出は、ダルハウゼンにおけるかご作りを一大産業へと押し上げる、大きな後押しとなりました。

このように、1800年代から1900年代前半にかけて最盛期を迎えたダルハウゼン。

その背景には、作り手の力はもちろんのこと、流通の要となる「問屋」の存在がありました。

1800年代前半に家内制工業から問屋制家内工業への移行が進み、
その後、1840年代以降に販路が拡大すると、大口の注文に応えるため、
かご問屋が多くの職人を抱える体制が定着していきました。

そして1910年代に入ると、世界は大きな戦争の時代へと足を踏み入れていきます。

こちらは戦後、1955年頃の写真には、やなぎではなく、
東南アジアから輸入されたラタンを素材とするかごが多く見られます。

ダルハウゼンという町が、かごとともに歩んできた歴史を目の当たりにし、
日本のかごの歴史との接点や共通点の多さに、深く心を動かされました。

実直で、力強く、人々の暮らしを支えるために作られてきたであろうかごの数々。

博物館の名のとおり、ここは多様なかごがならぶ「かごの博物館」というだけではなく
その時代を生き、かごを作りつづけた職人たちの息づかいが感じられる
「かご職人による、かご職人たちのための博物館」であることが伝わってきました。

最後に、ダルハウゼンかご博物館の様子をショート動画でご覧ください。

【音楽が流れます】

2020年に撮影されたダルハウゼンの風景です。

ハンスゲルトさんによると、残念ながら現在この町でかごづくりに従事している方は、ほとんどいらっしゃらないそうです。
おそらく、ハンスゲルトさんはここダルハウゼンでかごを編み、生計を立てている数少ない職人のお一人といえるでしょう。

今回の特集展では、ハンスゲルトさんのかごをご紹介したいと考えており、
ご本人からも事前に快くご承諾をいただいておりましたが、
ざんねんながら、さまざまな状況が整わず、間に合わせることができませんでした。

この特集展でのご紹介はかないませんでしたが、
私たちのためにかごを製作してくださるというお約束はいただいております。

どうか気長にお待ちいただけましたら幸いです。

あこがれの銅像「かご職人」のまえで、ハンスゲルトさんと記念撮影。

Bitte lächeln! (ビッテ・レーヒェルン=笑ってください!)

さあ、それでは。
いよいよ、かご祭りが行われるリヒテンフェルスへ向かいましょう!

つづく

___________________________________________

“ひとつのテーブル”特集展

ドイツで出会った、ヨーロッパのかごたち

2026年

2月19日(木)・20日(金)・21日(土)・22日(日)・23日(月祝)
26日(木)・27日(金)・28日(土)
3月5日(木)・6日(金)・7日(土)

Open | 11:00ー16:00

実店舗 | 東京・南千住 「市川籠店」