かご作りが最も盛んだったころ ダルハウゼン博物館(3) ― ドイツ出張記 6

こんにちは。前回につづき、
まだダルハウゼンかご職人博物館にいるイチカワ トモタケです。
18世紀頃(1700年代)からはじまったかご作り。
だんだんと生産量が増えてきたかごは、どのように販売されていたのか
ということも、かごを販売するお店としては気になるところです。
今回は、かごの流通や販路に焦点をあてて、
ダルハウゼンの歴史を見ていきたいと思います。

こちらはかご職人が、自身や家族の作ったかごを背負い、行商に出るイメージの展示です。かごとともに、やなぎの枝も携えています。おそらく、以前買い手に販売したかごの修理を依頼された際に備え、持参していた材料ではないかと思われます。 
こちらは1900年頃、犬の引く荷車にたくさんのかごが積まれ、行商へと引かれていく様子です。 
こちらは1930年、先ほどの写真から30年後の様子。大きなかごのほかに、椅子も積まれています。そして、荷を引くのは犬から馬へと変化しています。 
こちらも1930年頃の写真。これは2頭の馬で引く馬車です。より積載量が大きくなって、さらに寝台付きだそうです。この馬車で寝泊まりをしながら、遠くヨーロッパ各地まで販売に出掛けていたのでしょうか。私からすると夢のようです! 
1936年、アーロルゼン市場という場所で販売するかご商人の様子です。写真ではいろいろな種類のかごが見られるので、何人もの作り手によって生産されたものを、商人が買い取って販売していたと思われます。この時には「作る人」と「売る人」の分業化が進んでいたのかもしれません。 
1950年頃の写真では、トラックが登場しています。いかに限られたスペースに効率よく、たくさん詰めるかを考えられた作りです。すごい!

こうした陸路による販路の拡大とともに、水運もまた発展していきました。
ダルハウゼンちかくを流れるヴェーザー川を北へ下ると、やがて大きな貿易港都市ブレーメンへと至ります。
その水路を通じても、数多くのかごが出荷されていました。
貿易港のブレーメンを流れるヴェーザー川は、そのまま北海へと流れ出ます。
ブレーメンに運ばれたダルハウゼン製のかごは、さらにそこから海を渡り、アメリカへと輸出されていました。
1800年代、人口の増加にともないアメリカへ移住した同郷の仲間や家族たちが
現地で受け取り、販売の役割を担ったことが、その背景にあります。
この海外輸出は、ダルハウゼンにおけるかご作りを一大産業へと押し上げる、大きな後押しとなりました。

また、やなぎのかご作りと並行して、東南アジアから輸入した「ラタン」を用いた家具作りも盛んになっていきました。 
椅子や棚を作る際のアームや骨組みとなるラタンを、熱を加えて曲げるなどの特殊な加工を施すための、バーナーなどの道具。 
ダルハウゼンでは、ラタンのかごや家具づくりが町の主要な産業となっていきます。 
こちらはラタン製の子ども用椅子です。 
こちらは、船のデッキで使われていたデッキチェアです。ラタン外皮が水をはじき、カビにくい性質をもつため、船上での使用も適していたのだと思います。 
家具の中では、特に椅子が多く作られていたようです。展示はどれも触れることはできませんが、今も現役で使えそうなほど、精巧でしっかりとした作りに見えました。 
左はラタンを加工するための工具、右はラタンの素材サンプルです。おなじラタンでも、その太さや部位を使い分けることで、さまざまな材料を生み出していました。たとえば、外皮は縁を巻くのに用いられ、芯(太い茎)のところは椅子の背や家具の骨組みに使われました。最盛期には、こうしたラタンの材料製造を専門とする工場もあったといいます。 
写真のように、太い芯の部分は背もたれの骨組みとなり、外皮は接続部分を巻き留めたり、と組み合わされています。 
中央の棚は…! 時計や振り子こそないものの、あの「おじいさんの古時計」の、振り子時計の枠でしょうか。こちらもラタン製です。 
ボトルバスケットのようなものも。 
こちらはクッション付きの収納スツール。 
スツールの座面が蓋にもなっていて、開けると収納スペースが現れる仕様です。 
前々回の「ドイツ出張記 4」でもお話したように、このラタンを使って、日本製のすず竹行李に似た「日本バッグ」も生産されていたようです。 
こうして展示を見ていると、やなぎと同様に、ラタンもまた重要なかごの素材として扱われていたことが伝わりました。

このように、1800年代から1900年代前半にかけて最盛期を迎えたダルハウゼン。
その背景には、作り手の力はもちろんのこと、流通の要となる「問屋」の存在がありました。
1800年代前半に家内制工業から問屋制家内工業への移行が進み、
その後、1840年代以降に販路が拡大すると、大口の注文に応えるため、
かご問屋が多くの職人を抱える体制が定着していきました。

こちらは、問屋を営んでいたテオドール・シュピンドラー(1822–1889)氏です。兄弟二人がアメリカのニューオリンズに住んでおり、その縁を頼って、1846年にはアメリカへのかごの輸出を開始したと記されています。1852年には自身の工房を構え、三人の職人を抱えながら、さらに八人を家内工として雇っていたそうです。また柳商人としても活動し、同年、ダルハウゼンを流れるベーヴァー川流域のやなぎをまとめて買い付けたことが記録に残されています。 
さらに1866年には、四十世帯の家内工が彼のもとで働いていたと伝えられています。まさに、私たちが日本で「産地問屋」や「一次問屋」とよんでいる方々と重なる位置づけです。問屋の役割は、まず材料を確保することから始まります。それを職人たちに配り、製品が仕上がれば再び集めて、出荷や輸出を担います。この仕組みは、現在も岩手や佐渡島の一部に受け継がれているかたちです。青森や宮城など、弊店が長年お世話になってきた古くからの問屋も、同様の体制をとっていました。 
問屋たちは、ダルハウゼンの現地に足を運ばなくても外部から注文を受けられるよう、かごの形やサイズなどを記載したプライスリスト、いわばカタログを作成していました。 
左は郵便用のかご六サイズで、価格は当時のドイツ通貨マルクで記されています。右は洗濯かご五サイズ。いずれも、当時の様子を伝える実に貴重な資料です。 
1897年頃の資料には、ある一軒の問屋が百八十人もの職人を抱えていたという記録が残っています。それはつまり、一軒の問屋が百八十人の職人と、さらにその家族を含めた相当数の世帯の暮らしを支えていたということです。町の経済の一端を担う、大きな存在であったことがうかがえます。 
1914年頃のこちらの写真には、問屋が工場へと姿を変えていく様子が写されています。建物の右側から材料が運び込まれ、正面からは製品が積み出されている様子がうかがえます。 
1920年から1930年頃になると、一部は個々の営みから「会社化」へと進み、工場でかごを編む「社員」として働く姿も見られるようになります。ダルハウゼンはこうして、農家の副業としての製造や個人での行商に始まり、問屋制度による組織化を経て、さらに会社による工場化へと至りました。その間、およそ百年の歳月をかけて、かご作りはひとつの「産業」へと形を変えていったのです。 
当時のかご作り工場を再現した展示も見られました。 
広いフロアには、ダルハウゼン式の傾斜がついた作業机と椅子がいくつも並び、つくりかけのかごがあちこちに置かれていました。 
まるで、つい先ほどまで職人たちがそこで作業をしていたかのような光景が広がっています。 
やなぎの表皮をむいた白いかご。どのかごも美しい佇まいです。 
現代においてもなお十分に需要のありそうな、力強く実用的なダルハウゼンスタイルのかごたちです。

そして1910年代に入ると、世界は大きな戦争の時代へと足を踏み入れていきます。

こちらは戦後、1955年頃の写真には、やなぎではなく、
東南アジアから輸入されたラタンを素材とするかごが多く見られます。

さらにこちらは、ラタンではなく、樹脂のような素材で作られたベビーカーです。やなぎやラタンに見られる節や色むらがないため、編み目は整い、均一で美しい仕上がりではありますが、どこか味わいに欠ける印象も受けます。 
こちらも樹脂製で、ラタンで作られていたクッション付き収納スツールの代替品です。 
自動車の足元にある荷物置き用のネット。こちらも樹脂で編まれていました。 
博物館の最後の部屋には、カラフルなプラスチック製のかごや椅子が並んでいました。いずれも、もとはやなぎやラタンで作られていたかたちが、素材を変えてプラスチックへと移り変わっていったことを示しています。こうした素材の転換は、日本をふくめ、世界各地で共通して見られた流れです。

ダルハウゼンという町が、かごとともに歩んできた歴史を目の当たりにし、
日本のかごの歴史との接点や共通点の多さに、深く心を動かされました。
実直で、力強く、人々の暮らしを支えるために作られてきたであろうかごの数々。
博物館の名のとおり、ここは多様なかごがならぶ「かごの博物館」というだけではなく
その時代を生き、かごを作りつづけた職人たちの息づかいが感じられる
「かご職人による、かご職人たちのための博物館」であることが伝わってきました。
最後に、ダルハウゼンかご博物館の様子をショート動画でご覧ください。
【音楽が流れます】

2020年に撮影されたダルハウゼンの風景です。
ハンスゲルトさんによると、残念ながら現在この町でかごづくりに従事している方は、ほとんどいらっしゃらないそうです。
おそらく、ハンスゲルトさんはここダルハウゼンでかごを編み、生計を立てている数少ない職人のお一人といえるでしょう。
今回の特集展では、ハンスゲルトさんのかごをご紹介したいと考えており、
ご本人からも事前に快くご承諾をいただいておりましたが、
ざんねんながら、さまざまな状況が整わず、間に合わせることができませんでした。
この特集展でのご紹介はかないませんでしたが、
私たちのためにかごを製作してくださるというお約束はいただいております。
どうか気長にお待ちいただけましたら幸いです。

あこがれの銅像「かご職人」のまえで、ハンスゲルトさんと記念撮影。
Bitte lächeln! (ビッテ・レーヒェルン=笑ってください!)
さあ、それでは。
いよいよ、かご祭りが行われるリヒテンフェルスへ向かいましょう!
つづく
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“ひとつのテーブル”特集展
ドイツで出会った、ヨーロッパのかごたち
2026年
2月19日(木)・20日(金)・21日(土)・22日(日)・23日(月祝)
26日(木)・27日(金)・28日(土)
3月5日(木)・6日(金)・7日(土)
Open | 11:00ー16:00
実店舗 | 東京・南千住 「市川籠店」




